快技庵 Macの20年:初期の開発環境

私的開発環境の20年

2004年はMacintoshが登場して20年にあたります。
開発者として開発環境の20年を、特に資料の少ないと思われる80年代からPowerPCへの変革期を中心にまとめてみました。
記憶をまとめただけなので年代は不正確かも知れません。

1984年 アセンブラ

Macが登場したときRAMは128KBでした。単位はキロバイトです。
128KBの中でビットマップディスプレイやフォントそれにサウンドのバッファなどに割り当てられるため、アプリケーションが使えるメモリは余裕がありませんでした。

開発環境としてAppleからアセンブラが出ていたはずです。
ただし説明には二台のMacを用意しシリアルケーブルで接続して開発するとあり、一台購入するのがやっとであった私はこのアセンブラの購入をあきらめました。

1985年 MacPascal

1985年に512KBカナMacと同時に私が購入したソフトのひとつがMacPascalでした。RAMが4倍になり、アプリケーションが利用できるメモリは大幅に大きくなりました。
MacPascalはBasicのようにPascal言語を実行できる環境でした。
グラフィック用のウインドウがあり、QuickDarwを利用したプログラムで画像を描く事ができました。

MacPascalは大変洗練されたソフトウェアでした。パッケージもAppleらしくとても魅力的でした。
マニュアルもカラーでQuickDraw APIの解説も載っていました。
英語でしたがとっつきやすいマニュアルで助かっていました。
プログラムを入力するウインドウは予約語を太字で表示する当時としては高機能のものでした。
私がMacを購入した動機のひとつにワークステーションへの強いあこがれがあったことは間違いありませんが、MacPascalは開発環境としてもその頃の『マイコン』とは一線を画す高水準でした。

残念ながらMacPascalでは独立したアプリケーションを作ることはできませんでした。
Pascal言語を学習するための環境としては最高でした

MacFORTH

MacPascalと同時に購入した開発環境がFORTHでした。
こちらは独立したプログラムも作成できるものでしたが、Macのアプリケーションを作るにはToolBoxの理解が不可欠です。非常にページ数の多いマニュアルもハードルが高く小さなプログラムは作る事ができたものの実用的なものは結局開発できませんでした。
ToolBoxのAPIをFORTHから呼び出す方法を理解できなかったことが大きいと思っています。アセンブラレベルの知識があればもう少し使いこなせたのかも知れませんが、当時の私には無理でした。

86年ころ エーアンドエー社との出会い

MS-DOSのプログラミングが仕事だった時に、自分への投資として1985年に512KMacを購入したのですが、Pascalは使っていたものの、Macで動くソフトを作るのは難しくなかなか進みませんでした。
そのころマイコンショーか何かでMacの展示をしていたエーアンドエー社におしかけ、いろいろと教えていただきました。
そしてエーアンドエーが主催された大河内さんによるMacのプログラムに関するセミナーに参加する機会を得ました。RMakerなどの開発ツールもそのときにいただきました。

高価だったC言語は当時勤務していた会社(SDエンジニアリング)で購入してもらいました。
残念ながらToolBox APIはPascalインターフェースでCからの呼び出し方がわからず爆弾の嵐でした。
今思えばこれは値とアドレスの区別がきちんとできていなかったためでした。書籍版の正式なInside Macintoshもまだ購入していない段階でわからないことだらけでした。
そんなときPascalコンパイラの広告を見つけました。

TML Pascal

512KMac一台で独立したアプリケーションを開発できるPascalコンパイラとしてTML Pascalが登場しました。
まだ統合環境ではなく、コンパイラとリンカも独立していました。
400KBフロッピードライブ(内蔵と外付けの)二台を使いアプリケーションを作りました。

いろいろ苦労しましたが、TML Pascalのおかげで512KMacだけでアプリケーションを開発する事ができました。
私にとってTML PascalはMacプログラマとしてスタートを切るためになくてはならなかった開発環境です。

RMakerからResEdit:Mac独自のツール

Macのアプリケーションにリソースは不可欠です。
そのリソースを作るツールがRMakerでした。
RMakerはリソースのテキストソースをリソースに変換するツールでした。
当初アイコンはMacPaintの拡大機能のような便利なツールではなく白黒をゼロと1に置き換えそれを16進数に変換した上でRMakerにかけて作りました。
もちろんメニューもダイアログもです。

このような作業が『作るは地獄』の典型であったことは間違いありません。その後ResEditが登場しリソースもグラフィカルに作ることができるようになりました。

2004年 1月 4日

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文責:高橋政明 

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